北宋時代(960~1127年)、四川の自貢市は豊富な井塩の生産で知られていました。当時の塩の採掘のために1万3000以上もの井塩(塩の井戸のようなもの)を掘ったと言われています。
労働者たちの賃金として
人々は井塩に滑車を取り付け、牛を動力として塩水を取っていました。
年老いた牛たちは歩かなくなったら、餌をやって、また働かせる。井塩の仕事が好調だから子牛をたくさん連れて、牛を交換していました。
しかし、次第に商売がうまくいかなくなってきました。そこで、あるアイディアが出てきました。
塩のオーナーは牛肉を賃金にあてがう方法を制定し、塩場で試してみることに。
しかし、労働者達はこの牛肉を賃金に換える方法を理解しませんでした。
「給付された牛肉では米を買って食べられないぞ。牛肉をどうしたらいいんだ?」
「牛肉は服として着れないぞ。牛肉をどうしたらいいんだ?やっぱり銀が欲しい。」
「牛肉が要らないとなれば賃金も貰えない、肉があれば腹の足しにはなる、何も無いよりはマシだよ。」
しばらく議論して、労働者達は賃金として牛肉を貰う事を受け入れました。
この牛肉をどうやって食べようか?
そして、塩工場で働く労働者達は直ぐに牛肉を薄く切って、塩水で煮て食べる方法を考えつきました。
「この煮えた塩水で肉を煮れば、肉の生臭さが取れて良い感じだぞ。」
「塩水で煮た牛肉は味が良くなるな!」
「花椒や唐辛子等の調味料を入れたらどうかな?」
「塩加減が丁度良い、味もとっても良いぞ!」
塩水で煮た牛肉は柔らかくて美味しく、すぐに労働者達の人気になりました。次第に、この料理は「水煮牛肉」と呼ばれるようになり、塩場の名物料理となっていきました。
その後「水煮牛肉」は悠久の時を経て、四川料理人の絶え間ない改良を経て、四川を代表する名物料理となっていきました。