始まりは20世紀の30年代初め
昔の成都には少数民族が集まり住んでいる場所があり、特に回族(イスラム族)が多く住んでいた。現地の住民は牛肉を食べていて、数か所の屠殺場がありました。
ある牛の屠殺場の近くに、仲睦まじい夫婦が住んでいました。夫の名は郭朝華、妻の名は張田政。
郭朝華は屠殺場で働いていて、過酷な仕事だったが給料は少ない。家も貧しい生活を送っていて、肉を食べられのは年に数回しかなかった。
捨てられていた牛の内臓
妻の張田政は毎日夫に昼飯を作り、夫が働いている屠殺場まで運んでいました。
その屠殺場では、作業員が牛肉だけ取り、牛の内臓等の部位は捨てているのを発見。
そして、
その夜、和えるための材料、唐辛子、ネギ、ニンニを千切りにして、煮た牛の内臓を切り分け、ラー油を加え、お酢を入れ、均等にかき混ぜて、冷菜を作ってみました。
食べてみると「おいしい!おいしい!」「味が良い!」「痺れ辛いのが合う!」とびっくり。
そして、二人はこの料理を販売することにしました
料理名は「夫婦廃片(フーチーフェイピェン)」(夫婦がつくる廃棄した贓物)
「みんなうまいと言ってるよ、俺にもちょうだい!」
「これは何で作ってるの?なんでこんなに美味しいんだい?」
「とても安いわね!」
と大評判となりました。
あるお客さんが
「店主、この廃片という名前は聞こえが悪いわ、“廃”を“肺”に変えたらどう?」
「そうだな、我々夫婦で作った肺片、“夫妻肺片”と呼ぼう!」
※廃(fei)、肺(fei)と同じ音
夫妻はその後店を「夫婦肺片(フーチーフェイピェン)」に構えて経営。材料にもこだわり、牛肉、ハツ、タン、ハチノス、頭皮等に変わっていきました。
そして、夫婦肺片は成都を代表する名菜となり、夫婦は晩年豊かに暮らしていったといわれています。